今回は心の作用について解説してみよう。心の作用には二つある。1)「心は血脈を主る(心主血脈)」と2)「心は神明を主る。」である。さらに心主血脈は、主血(血を主る)と主脈(脈を主る)の二つに分かれる。前者は「心気が脈管の血液を運行して各臓腑を潤し、栄養すること」と「血を生成する」ことを意味している。ここで血を生成する過程をすこし説明してみよう。まず脾胃が吸収した水穀の精微(栄養物質)から、営気と津液が作られる。これらは肺に上輸されたあと、脈管にはいる。営気と津液が一緒になって血液になる。その後、心に入り、心火(心の陽気)によって赤くなる。後者の主脈作用とは、「心気により心拍動が起こり、脈管を進展収縮して循環回路を形成する」ことである。西洋医学的には、血が心で赤くなることは「心によって駆出された静脈血が肺を経由して赤くなる(動脈血になる)」とも解釈できる。
もう一つの作用の「心主神明」について説明してみよう。これにも2つある。「全身の臓腑、経絡、感覚器官の生理活動」と「精神、意識、情志などの精神活動」である。前者を広義の神といい。後者は狭義の神という。例えば、顔色を見て「生気がある」と表現することがある。この生気が広義の神である。生気があれば有神といい、なければ無神という。顔色だけではなく、舌診でも有神、無神がある。一方、狭義の神は、思考、思索などの精神活動を指す。西洋医学では、人の精神活動は大脳でおこなわれる。このことは内経にも記載がある。内経とは皇帝内経のことで素問、霊枢に分かれ、古代中医学の名著である。紀元前200年に書かれた本である。その頃には、すでに人の脳が精神活動を主ることが認識されていたのである。それを認識しつつ、古代の人は、その働きを主に心に帰属させてきた。(詳しく言うと五臓に帰属する。喜怒憂思悲驚の感情はそれぞれ肝心脾肺腎に帰属する) 清の時代に、ふたたび脳が神明を主るという意見も増えた。しかし結局は心が神明を主ることで認識されている。心臓移植を受けた人がドナーの人しか知らない事実を思い出したという話を聞いたことがある。これは心が神明を主ることの現れであろう。また「あついハート(情熱)を持つ」という表現がある。ハートとは心臓である。情熱は心が受け持つことになっている。また悲しい経験をすると実際に胸が苦しくなる。このような経験から。古人は「心に神明あり」としたのだろう。 心の気血が虚になると「心悸、不眠、多夢、健忘」がおこる。だから、心の気血をおぎなう黄耆、人参、桂枝、酸棗仁、竜眼肉、夜交藤を投与する。するとこれらの症状が改善する。この事実からも心に神明ありは妥当と考えられる。
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図は「やさしい中医学入門(関口善太氏)」から引用。
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