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    ドクターエッセー 第1回  杭州にて杭州にて  
 

漢方の原稿を頼まれたのは、ちょうど中国へ行く3日前だった。毎年2回、中医学の本場へ行って刺激を受けることにしている。それで頼まれた原稿は紀行文にしようかなと思いつつ上海についた。そこから、高速バスに3時間ゆられて杭州へ着く。杭州は西湖が有名で、湖畔では剣舞や太極拳をしている。古風な建物が多く、河坊街では出店が1,2㎞続いて楽しい街である。着くのはいつも夕暮れ。ホテルの近くに回教徒の営む食堂があり、着いたらまずそこへ行く。そこの炒飯と羊肉スープが結構うまいのだ。翌日からは、5日間研修が始まる。元気をつけなくちゃと青島(チンタオ)ビールも飲む。

研修で通訳をしてくれるのは徐君である。彼は杭州にある浙江中医薬大学(中医学の専門大学で5年制)を卒業して大学院に席を置いている。見た目は坊ちゃん風で愛想もいい。礼儀正しいところも日本人みたいだが、彼女にアタックした時は、彼女の二階の部屋に向かって、ギター片手に歌ったと聞く。この辺は中国人らしい。三年前は大学の附属病院でよく研修した。(写真1)

この病院はとにかくでかい。14階建で3階までは外来だがそれより上は入院部門である。中医学がこんなに浸透していることに感動を覚える。最近は、胡庆余堂(こちんいどう)の病院(写真2)に行っている。こちらの方が風情あって中国らしい。何しろ宋の時代からの老舗の薬局兼病院である。宋の時代には杭州は首都瑞按だった。最近は吕(ろ)先生のもとで研修するのだが、いかにも老中医(ベテラン医師という意味)らしい。脈を診るときも沈思熟考する。そしてつぶやく「脾が虚している。」脈は左右の橈骨動脈でみるが末梢から寸関尺と区別があり、左右で意味が異なる。右脈の寸関尺は肺脾腎を表し、左脈は心肝腎をしめし五臓を反映している。脾が虚すとは、通常は右の関脈が虚の脈(沈細軟)になるのが普通である。しかし、この時は脈が浮脈であった。しかし圧をかけると消えてしまう弱い脈である。こういう脈を濡脈という。これも脾の虚を示すのである。 今回の研修では別の先生も見学したいと考えていた。T老師である。彼の書いた著書を読んで本物か否かをしりたかった。中国はとにかく偽物が多い国だから。直接交渉しかないので、徐君にお願いしたら、なんと研修OKがでた。まず無理だろうと思っていたので意外だった。老師は多くの癌を治療している。ガマの皮(有毒性)を体に張り付けて、毒を持って毒を制するのである。ある患者(肝臓癌で腹水)は皮膚に水泡と膿疹がいっぱいできていた(たぶん副作用だろう)。内服も煎じ薬で処方するが、弁証(証を弁じて処方する)は極めておおざっぱ。家伝の薬がある程度効くような印象であった。何しろ伝統医家で11代目、宋の時代(日本でいえば平清盛の時代)から続く医家である。この辺は悠久の歴史を感じる国である。ただ進行癌で5年以上経過した人が何人も笑顔で診療受けている人がいたのは印象的であった。

写真1
写真2

よくなったからであろうが、西洋薬との効果なのか否かは、短期間の研修では不明だった。ただ1日患者を50人ほど見るが8割くらいは癌患者ばかりというのは、患者は効果ありと考えているのであろう。この老師は高年齢なので、西洋薬との効果を比較検討するとか、そういう考えはないようである。また唯我独尊的考え方の人であった。二回目はないなと思った。

研修の最後の夜は日本料理店「勇」で打上げをする。半年後の再開を祝して、吕先生、徐君、もう一人の女性通訳、日本人で針灸留学生と乾杯する。日本と中国の関係は悪化しているけれど、それは政府間の問題であって国民はそれに巻き込まれてはいけない。来年には還暦むかえる、しがない私のために無償で尽力してくれた徐君。こういう人も中国には結構いる。ただ中国は広大なので、まさに玉石混交である。そのなかで玉を見つけるのが面白い作業なのである。

 
 
 
 
 
 
 
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